すがおハロウィン

こんにちは。

これを書いてる今、世間はハロウィン一色。

“3年ぶりの無制限”とあって渋谷も大混雑のようだが、賛否はあれど人々がエネルギーを取り戻すこと自体は喜ぶべきだろう。

前回のブログで、私はこう書いた。

「私はこの秋、日本に再び祭を取り戻したいと考えている。

罪悪感を伴いながらひっそり行う祭りではなく、ありのままにお互いを交換しあえる祭だ。

大声で笑っていい。

少しぐらい人に迷惑をかけてもいい。

皆と交わっても良いし、人見知りしたっていい。」

青臭い風呂式を広げた私に、二人のフォロワーが現れた。K夫妻と呼ぼう。

彼らは、コロナ禍への怒りや不満を熱源にして絡まりあった私の構想を、問いかけによって一つずつ紐解いてくれた。棘の無い、それでいて多くの人に鋭利に刺さる、ワクワクするビジョンへと昇華されていくのを肌で感じた。

先ず、イベント名は”すがおハロウィン”。

一般的なハロウィンは仮装をするが、このイベントでは仮装をせずに、飾らないすがおの自分で参加する事。マスクをしなくていいし、したければしてもいい。同調圧力が一切存在しない、そんな場を作りたかった。

コンセプトが決まれば、次はそれを具現化するための行動指針だ。

マニフェストとして、次の指針を運営者は元より、参加者全員に体現してもらうことにした。

①肩書きよりも想いを聞こう

②賞賛よりも共感を伝えよう

③謙遜よりも素直に受け取ろう

④同調よりも好きに振る舞おう

自分が何者でもなくていい。

ありのままのあなたでいいし、私でいい。お互いにそう思える優しい場を作りたい、そんな想いが込められている。

あるべき姿と指針が決まった。あとは、どうやってそこに到達するか、つまりコンテンツをどうするかだ。

ただの自慢だが、私は料理が得意だ。普段は人事の仕事をしているが、ひとたびキッチンに立つと、多くの人に口福を提供する自信がある。

メインコンテンツの一つは、私自身が作る料理。あとは素晴らしいゲストと、リラックスできる環境が用意されたら、場は成功である。そんな発想だった。

しかし、K夫妻の”場”への追究はそんなものではなかった。

「イベントコンセプトに沿ったメタファーを、料理名にしたらどうですか?」

頭をぽかーんと叩かれたような衝撃だった。

そう、自分の中では”料理”と”場”を融合させるという発想が貧弱だった。

この一言によって、色んな事が共鳴し合うように進んでいった。料理の方から「私を作って!」と語りかけてくるように、アイディアが浮かんできた。

そして出来上がったコースメニューが、サムネイルの画像である。

“仮面”から”承認”まで、人が”すがお”になるためのプロセスをエモーショナルな物語に仕立て、そのイメージに合った料理を提供した。

更にこのイベントが凄いのは、実は凄腕パティシエがいる事だ。

マイルドな人柄ながら鋭い洞察力を持ったKさん。彼は企画の途中から参画し、コースメニューに最高の華を添えてくれた。

実はこのメニュー表には裏面があり、emotional dessertという表題とともに、”嫉妬””安堵””悲しみ””寂しさ”の4種類の感情に合わせたデザートを選べる仕掛けになっていた。

ありのままの自分になった上で、あなたはどの感情を選びますか?という問いかけが込められていた。

さて、ここまでお読みいただけたら想像がつくだろうが、場は大成功だった。

これ以上に無いくらい、温かくて優しくて、まあるい場。

ゴロゴロしたり、ボドゲをしたり、想いを語り合ったり、同調圧力なんて無いありのままでいられる場。

青臭い私のビジョンが形になった。

自分は最初のボールを蹴っただけで、動かしていたのは3人のフォロワーと、参加したゲスト達だった。

自分一人では”すがおハロウィン”という着想も得られなかったし、プロマネも満足にできなかったろうし、デザートも作れなかった。

多くの人に支えられて実現したイベントだったけど、それで良かったのだと思えた経験だった。自分には自分の貢献の仕方があるし、粗っぽくても最初にボールを蹴ったこと自体が、とても価値のあることだった。

気付けば最初の打ち合わせから当日までずっと、ありのままの私が承認されていたのだ。

何だか、彼らの手のひらで転がされていたような気もするが、それも悪くない。

次は自分が、誰かのありのままを応援できるようになりたいと思った。

祭りはつづく。